プラセンタは近年その美容効果からよく知られるようになりましたが、反面、プラセンタの特性ゆえの危険性などもたびたび話題になることもあり、どうしても不安が拭えない方もいらっしゃるようです。
どのようにプラセンタが研究開発されてきたのか、少しプラセンタの雑学として日本に於けるプラセンタの歴史を見てみましょう。
1943年、当時太平洋戦争末期だった日本は食糧不足に陥っていて、人口減少を懸念した政府は、全国の大学に乳幼児や母体の栄養状態の改善を目的とした研究を進めるよう強制しました。
プラセンタ研究の始まりです。
最初は身体の栄養補給のために研究されていたんですね。
新生児は母親の体内で急速に成長を遂げますが、出産後臍帯(へその緒)を切った後には急に成長速度が緩やかになるということに着目したのが三林隆吉博士で、三林博士は哺乳動物は出産後に出てきた胎盤を母親が本能的に食べることにも注目し、研究を重ねていきました。
1945年には、その研究成果を産婦人科学会で発表しておおいに反響を呼び、傷病兵の治療を目的にプラセンタの製造を開始しようとしたところで日本が敗戦したため、中止されてしまいましたが、その後も研究は進められ、1955年には現森田薬品工業が製品化に成功しました。
もう一人、稗田憲太郎博士はプラセンタが中枢神経系に作用し、基礎代謝も亢進するということをいち早く説き、1956年には日本生物製剤㈱(ラエンネック)の前進である久留米組織再生研究所を立ち上げ、このとき既に再生医療を説いていました。
ラエンネックは今ではヒトプラセンタを製造する一大メーカーになっています。
この再生医療の考え方がプラセンタを語る上では重要で、物質的に補って改善するのではなく、人間に本来備わっている機能を刺激し、身体自身の治癒能力を利用して改善・再生していくことが、プラセンタには可能です。
こうした日本の歴史的社会背景と共に、研究者に育てられてきたプラセンタは、今も現代のニーズに合った形で、日々進化し続けています。
プラセンタは美容効果により一般的に知られるようになり、私たちの身近な存在になりました。
それに伴い危険性なども話題にされていますが、自分自身の体の再生能力を高めていく再生医療の考え方からすると、薬などを服用するより自然な形で効果を得ることができるのかもしれませんね。